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10年の歳月がくれたもの・7

救出された「ホームカミング」

いわきアリオスのグループ展が終わり数か月が経った夏、私に一通のメールが届きました。

震災後、被災した文化財の救出活動をされていた、東京文化財研究所の職員の方からで、なんと富岡町の「学びの森」に展示されていた私の卒業制作作品を、施設から救出して下さったと書かれていました。

震災後一年経った頃に、富岡町の文化財をレスキューする活動が行われていたそうで、資料館の資料を救出した後に、私の作品も一緒に運ばれていたそうなのです。

思いがけない突然の知らせに、私は大変驚きました。

初めての一時帰宅のときに壁にかかっている様子は確認できていたものの、その後どうなったのか分からず、自分でもどうしたらいいのか分からないでいたときに、学びの森の元館長の方とお会いする機会がありました。

そのときにこの作品のことを聞いてみたところ、町の文化財は保護されたけれど、私の作品は文化財ではないから救出するのは難しいという返答があり、なんとも言えない気持ちになりました。

確かに文化財ではないし、あの作品は私の中の富岡町を描いたものだから、あのままあの場所にあるのがふさわしいのかもしれない…

そんな風に自分なりに納得しようとしていたのです。

そのような想いを持っていたということと、今回救出して下さったことを感謝する旨を返信したところ、この職員の方から再度返信があり、私たちは立派な地域の文化財だと思っていますと言って下さったことに感動しました。

 

この「ホームカミング」という作品は、私にとってとても大切な作品でした。

大学4年生のときに、今後の進路にとても悩んでいた私は、それまであまり感じたことがなかった不安な気持ちに押しつぶされそうになっていました。

そんなとき、故郷の町に帰省して、母に「大丈夫!」と励ましてもらい、「なんとか卒業できるよう一旦先のことを考えるのはやめて、卒業制作に集中してみよう」と、気持ちを切り替えて描いた絵だったのです。

私のことを勇気づけてくれた心の中の富岡町の風景を思い出しながら、私が好きだった家の周りの水が張られた田んぼに映るお月様の風景や、四季によって移り変わっていく風景を合わせて、絵の中央には両親をイメージした犬の夫婦の姿を小さく描きました。

この絵を描いて無事学部を卒業し、その後大学院に進学した私は、その後、新しい気持ちで大学院での制作や、就職活動を頑張ることができました。

 

作品は福島県内の保管施設に移されるということで、ずっと気になっていたあの作品が、自分の知らないところでこのように大切に保護していただけていたことに、私は涙がでました。

と同時に、東北の被災地のあらゆる場所でこのような支援の活動が行われていること、支援者の方々が熱い気持ちを持ってその活動をされていることを肌で感じ、改めて感謝の想いを感じました。 

 

***8へつづく***