10年の歳月がくれたもの

見つけた真理 香港の展示が終わりその数か月後の5月某日、私の両親は避難先での仮住まいを終え、その近くに建てた新しい家に引っ越しました。 私も一人暮らしのアパートを引き払い、その家で数年ぶりに両親と一緒に暮らすことになりました。...
in the weeds 2015年2月、私は香港にある、ART PROJECTS GALLERYというギャラリーで個展をさせていただけることになりました。 海外で展示ができるなんて考えたこともなかったので、初めてこの知らせを聞いたときに本当に私が?と、すごく驚きました。 いつもお世話になっているShonandai MY Galleryさんのウェブサイトを見て、このお話を下さったということでした。...
三度目の一時帰宅 2013年に町の避難区域が再編成され、富岡町は帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域の三か所に分かれることになりました。 居住制限区域・避難指示解除準備区域は日中の立ち入りが自由に出来ることになりましたが、私の実家のある場所は帰還困難区域に指定され、許可がなければ入ることはできないままでした。...
救出された「ホームカミング」 いわきアリオスのグループ展が終わり数か月が経った夏、私に一通のメールが届きました。 震災後、被災した文化財の救出活動をされていた、東京文化財研究所の職員の方からで、なんと富岡町の「学びの森」に展示されていた私の卒業制作作品を、施設から救出して下さったと書かれていました。...
アリオス現代美術館! 震災から二年後の2014年3月。 私は福島県いわき市にある芸術文化交流館「いわきアリオス」で行われるグループ展に参加させていただくことになりました。 この展覧会は、東京藝術大学の「藝大Am+いわき」という、アートマネージメント人材育成を目的としたプログラムの一部として企画されたものでした。...
はじめての一時帰宅 震災から一年が経ち、2012年になりました。 両親は新しい場所での暮らしにもだいぶ慣れてきて、穏やかな日常を少しずつ取り戻してきていました。 しかし、実家は変わらず警戒区域になったまま、立ち入りが禁止されていました。...
かなたの桜 4月の末に、六本木にあるShonandai MY Galleryで私の初めての個展は予定されていました。 前年の夏にグループ展に参加させていただき、それに引き続いて今度は個展にチャレンジしてみませんかと声を掛けていただいたのです。...
新しい暮らし そんな日々が続き、私の両親もいつまでも親戚の家にお世話になることはできないということで、仮住まいする場所を探すことになりました。...
家族との再会 一夜明けて特に状況が変わらず、両親のその後の安否確認もできない中、その日の午後、原発で一度目の水素爆発が起きました。 このショッキングな映像は私の心をいっきに不安のどん底に突き落としていきました。...
もうすぐ3月11日ですね。 最近様々なメディアで東日本大震災に関連した特集が組まれているのを目にします。 今年は特に10年目ということもあり、個人的に一つの節目になるような感じがします。 この震災は本当に大きな出来事でしたから、多くの方が何かしらのショックを受けたり、価値観が変わるきっかけとなったりしたものだったと思います。...